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インタビュー
多発性筋炎から社会復帰をめざす しおりさんの挑戦
2022年2月にはじめての相談メールをくださった しおりさんは、多発性筋炎という難病を患いながら社会復帰をめざす、チャレンジ精神旺盛な女性です。当時は一人で外出することもままならない様子でしたが、最近では積極的に支援機関などに出向き、また資格取得を通して慣れないパソコンの勉強をしたりと、社会復帰への階段を着実に昇っています。
今回しおりさんにご病気のことやお仕事のこと、社会復帰にむけた動きなど、じっくりとお話を伺う機会をいただきました。同じように奮闘している方々やそのご家族に向け、ぜひご紹介させていただきたいと思います。
1.病気について
-病気の症状について教えてください。
多発性筋炎の症状としては、定番なのは握力がなくなったり、身体が痛んだり、疲れやすくなるというのが特徴です。私の場合も軽い筋肉痛があったり、体力はなくて、もちろん入院していた影響もあるのですが、退院してからも筋力はまたさらに落ちました。薬の副作用でも筋力が低下しやすいので、なかなか日常生活で筋力をつけるのが難しいです。
握力は病名がわかる前に何度か測ったことがあったのですが、そこではあまり変化が見られなかったです。昔の自分と比べたら握力は落ちていたのですが、数値的には一般的な女性の握力の範囲内にあるということで、病名が分かるのがものすごく遅れたんですね。その他に私の自覚症状としては、入院前はものすごく目眩とかが多かったです。目眩がひどいから外に出るのが怖くなって、そこから不安症状がでてしまって、目眩がさらにひどくなったり動悸がしたりっていう。いくつか病院を受診しましたが、なかなか原因が分からず、そんな中行きついた精神科に何年も通院することに。しかし一向に体調が良くならないということで、その後も他科通院を続け、最後に通っていたところで経過観察をずっと続けていたのですが、私の方でちょっと嫌気がさしたというか、また行ってもどうせ経過観察なのだろうという気持ちで行くのをやめてしまいました。
その半年後ぐらいですが、以前から皮膚にあざのようなものがあるのを母が見つけてくれていて、気には止めていたもののほったらかしにしていたこともあり、病院通いはこれで最後という思いで皮膚科を受診しました。そこからとんとん拍子で今の病院にたどりついて、さまざまな検査を経てようやく病名がわかりました。
ちゃんと病名がわかったらやっぱり気持ちがちょっとホッとするんですよ。原因がわからない時がものすごく辛かったので。理由がわかるとたとえ外でちょっとふらついても、「少し動き過ぎたんだな」と自分でなんとなく察することができるようになるんですね。そうしてメンタルが落ち着くと動悸などもなくなってきました。
退院してからは、筋力の衰えでちょっと早歩きしただけでも目眩をおこしていたので、母に付き添ってもらいながら外出していました。それも、母にお願いして買ってきてもらった小さめのキャリーバックを引きながら外に出ることで、例え目眩がしても真横に支えがあるという安心感からすごく心が落ち着き、目眩もあまりでなくなりました。やっぱりメンタルから来るものは大きいのだなというのを実感しました。
-病名がわからない時期というのはどのぐらい続いたのですか?
本格的に症状が出始めたのは私が高校生の時からなので、13~14年はわからない状態でいました。ただ、それ以前にもなんでもないところで転んだりすることがあったので、今考えてみたらすでに病気の症状が出始めていたのかなとも感じています。その時は自分でも恥ずかしいという気持ちの方が強かった気がするんですよね。なので、いつから発症していたかというのは実際のところ分からないんです。
病院を回り始めてからは、症状の定番である握力で異常数値が出なかったので時間がかかったのだと思います。
-病院は何種類くらい受診しましたか?
最初の症状は回転性の目眩なので、まずは耳鼻咽喉科を受診しました。その後一般内科や脳神経外科、あと循環器内科へも2か所行っています。それから総合診療科、神経内科、そして精神科を受診しました。最後に膠原病内科にたどり着いたのですが、ここでも病名がわかるまでに至りませんでした。
病名がわかるきっかけとなったのは母がみつけてくれたあざのようなもので、そのときに受診した皮膚科が大きい病院への紹介状を書いてくださり、最終的に今通っている大学病院で詳しい検査を受け、ようやく多発性筋炎と診断されました。
-ようやく病名がわかったときの気持ちを教えてください。
その時の気持ちは複雑でした。原因がわかってもちろんほっとしましたが、今度は自分が病気だという事を受け入れなくてはいけないので。
検査の結果を聞いた日のことを覚えていますが、内心かなりドキドキしました。できれば病名が付いて欲しくないという気持ちと、とはいえ原因がわからなかったらこの症状は何なのだろうと。こっちの方がもやもやして辛かったので。だから見つけてくれて嬉しかったという気持ちが強かったです。
2.病前の仕事について
-学校を卒業してから病院に入社され、8年間勤務されています。この間は原因がわからず不安を感じながらお仕事されていたのですか?
症状はあるのに病名はわかっていない時期なので、もちろん不安でした。ただ、新人の頃は覚えなければいけないことも多いので、忙しさで逆に目眩が気にならなかった時期もありました。
その後入社して何年経った時かは忘れたのですが、病院で少しくらっとした時がありまして。当時の仕事は患者さんを車椅子とかストレッチャーで押したり、結構ハードで筋肉を使うんですね。
その後もだんだんふらっとする頻度が増えてきて。退職する2年ぐらい前、ある患者さんのお迎えに行く途中でふらついてしまったことがありました。その時は患者さんを連れて帰るときに事故を起こしたら取り返しのつかないことになると自分で怖くなって、病棟の上司に「ちょっと体調が悪いので、迎えをだれかに代わってもらっていいですか?」と電話しました。それをきっかけに、ちょっとこのままこの仕事を続けていると、いつかは事故をおこしてしまうと考えるようになりました。
-勤務先に体調が悪いことを伝えて、何か特別な配慮があったりしましたか?
体調不良については、直属の上司の看護師長と病棟クラークの同僚の2人に話しました。病名がわかっていなかったこともあって、その他の人たちには特に話していません。
配慮としては、例えば目眩があったりすると同僚に伝えて休憩室で10分ぐらい休ませてもらうことがありました。 それから、その頃経過観察していたのが自分の勤務する病院だったので、自分の番になったら内線電話で呼んでもらって診察を受けていました。おかげで通院のために休みを取る必要はなくて、助かっていました。
3.利用した支援について
-利用している公的な制度はありますか?
多発性筋炎は難病指定の病気なので、医療費免除みたいなのを受けていて、通院費が通常3割負担のところを2割負担になっています。病名がわかって入院しているときに、たしか病院の方から資料みたいなのが渡されたような記憶がありますがすみませんはっきりは覚えていません。
-あしたばの会に相談するまでの経緯を教えてください。
退院してからしばらくは体調が悪くて何もする気が起きませんでした。それが徐々に外で歩こうという気持ちが出てきたころ、それと同時ぐらいにパソコンでもいろいろと検索するようになりました。何か目的を絞って探すというよりも、例えば病気を抱えた人と会話のできる場とか、仕事関連でサポートしてもらえるところはあるのかとか、思いつくままに検索していました。そんな時にたまたまあしたばの会を見つけました。
ただ自分はかなり警戒心が強いので、たしか半年ぐらいはコンタクトをとらずにいたと思います。お気に入り登録をしながらたまにホームページを覗いたりとかして。あるとき、こんなに何度もホームページ訪問するのなら、1回コンタクトとってみようかなっていう気持ちになり、ホームページの相談フォームから連絡しました。
-その頃他に興味をもった団体などはありましたか?
多発性筋炎の患者が集まる会を開いている団体に興味をもちました。ここは母がみつけてくれた会なのですが、それまで同じ病気を持っている人と接点がなかったこともあって、興味をもってメールをした記憶があります。ただ、同じ境遇の人と話して孤独感が解消される期待感がある一方で、あまり病気の事ばかりは話したくないという気持ちもありました。そのため会に参加するところまでは踏み切れずに、この団体とは保留状態になっています。
あとは難病患者を支援する団体が大阪にあるのですが、ここでは食生活や生活習慣を立て直すための知識とかを教えてもらったり、電話やリモートで何度かお話をさせていただきました。
-同じような境遇の人たちとはどのような会話を期待していますか?
病気の影響で日常生活のちょっと大変なこととか、日常生活を少しでも楽にするためにこんな事をしているとか、病気に関してではないことも含めて気軽な感じの会話がしたいです。やはり同じ境遇の人でないと分かり合えないこともあると思うので。ただ、あまり病気の事ばかりを話すのは気が進みません。
-あしたばの会にコンタクトをとってみて、気持ちの変化などはありましたか?
安心感が得られたというのが大きいですね。コンタクトを取る前はどことも本当に接点のない状況でした。体力的な問題もあって一般的な求人への応募は難しいというのは感じていたので、そうするとどうやって仕事を見つけたらいいかをすごく悩んでいた時期がありました。だから、とりあえず家族以外の誰かと接触したいという気持ちがとても強かったです。
-やはり家族の方だと話しづらいこともあるのですね?
私の母はものすごく心配性なんですね。なので病気の情報などいろいろ調べて持ってきてくれたりしたのですが、自分なりにも様々情報を得ている中で少しそっとしておいてほしいと感じることもありました。今思えばものすごくありがたいことだと思うのですが、当時はそっとしといて欲しいっていう時に結構ぐいぐいこられたりすると、良かれと思ってしてくれていることなのに喧嘩になってしまったりするんですよね。 家族が相手だと近い存在すぎて、後から冷静に考えたらあの言葉ちょっとなかったなと思うような強い言葉を発してしまうこともあったりして。
4.これからの仕事について
-仕事に関する考え方や希望する職種について、病前と変化はありますか?
私はもともとコミュニケーションを取ることが好きで、それで病院に勤めていたというのもあったので、デスクワークではない方が自分には性に合っているかなと思っていました。前の病棟クラークという仕事はものすごく忙しくて大変ではあったのですが、考えてみたらそれなりに自分の理想にあった仕事だったかもしれないと思っています。 ただ体力的にとてもハードな仕事なので、今その職にもどるのは難しいと思います。
それでもともと苦手なパソコンに少しでも詳しくなれたらという気持ちもあって、クラウドソーシングサービスを通じて簡単な仕事をしてみたりしました。最近ではあしたばの会の勉強会で簡単なプログラミングを勉強したり、Excelを練習して資格を取ったり、今までの自分ではちょっと考えられないようなことにもチャレンジをしている状況ですね。
-新しいことにチャレンジする姿勢はとてもポジティブですね!
わからないことを学ぶっていうのは、そんな嫌いなことではなくて。療養期間中には通信でベジタブル&フルーツプランナーという民間の資格を取得しました。野菜と果物に関する栄養などの知識を学ぶ資格なのですが、おかげで食生活について意識ができるようになりました。
-最後に、仕事探しの状況を教えてください
ハローワークの長期療養者の窓口で相談にのってもらっています。先日は4件の求人情報をいただいたのですが、まだ応募まで一歩を踏み出すまでは至っていません。その担当者さんは長期療養を理解してくださっている方なので、それでも焦らせたりすることもないですし、私としてはとても話しやすい方です。 希望している仕事については、今は断然収入よりも自分の状況にあったお仕事を考えています。例えばリモートで週に1日とか2日で1 日2~3時間とか、そのぐらいのペースで続けていけるような仕事に巡り合えたらと思っています。